少し込み入った長編小説とかは1人で読んでいても
理解度にどうしても限度があると個人的には思う。
ドストエフスキーの罪と罰もそんな作品の一つなんだろう。
貧しい学生のラスコーリニコフが金貸で性格の悪い老婆を殺害して
さらに偶然現場に居合わせてしまった老婆の妹も殺害してしまい
その後良心の呵責に悩まされる。
簡単にいうとこんなお話なのだけど宗教なんかの要素も多く含まれていて
さらに上中下巻という長さで読み通すだけでも骨が折れる。
そして主人公の罪を犯しても許される人種についての理論。
例えばナポレオンのような英雄は人類のために偉業を成した。
彼のしたことは殺人であってもその後の人類に
大きく貢献しているのだから許される。
そんな非凡な人種ならば、人類に貢献できるならば
たとえ殺人を犯しても構わない。
これだけ聞くと確かになあと思わされるけれど
ではその非凡な人種をどうやって見分けるのか
またナポレオンはどうやって自覚したのかなど
判事のポルフィーリイの鋭い言葉にも納得せざるを得ない。
基本的にラスコーリニコフ青年の理論は分からなくもないけど
もしかしたら個人的な感情が入り込み過ぎていたのかもしれないとも思う。
意地悪なお婆さんを自分が貧しいから頼らなければならない。
会いに行くたびに嫌な思いをする。
彼が自分のために老婆に殺意を抱く気持ちはとても共感できる。
元々持っていた犯罪に対する自分の理論と湧いた殺意が混ざり合って
行動してしまったんだろうな。
「僕はしらみを潰しただけ」
彼のセリフが強く残っているけれどこの言葉の中にも
老婆に対する嫌悪感が感じられて、理論よりも感情が優ったのかなと思う。
こんな負の感情は自分でも感じたことがある。
だからこそ主人公に共感できるし、
ポルフィーリイとのやり合いに負けて欲しくないと思ってしまう。
醜い部分が似通っているからこそ強い印象のキャラクターなんだと思う。
また同じように貧しい生活を送るソーニャも強く印象に残っている。
彼女は家族を支えるために自分の身を売っている。
主人公はその自己犠牲に心打たれる。
最初はよく分からずに読んでいたけれど
終盤になると私もソーニャのまっすぐで綺麗な部分がわかってきた。
どこまでも素直で羨ましいほど優しい彼女の存在に安心させられた。
ラスコーリニコフが自分の中にある負の感情を体現しているのなら
ソーニャは最終的に目指したい理想を体現しているのかもしれない。
冒頭でも書いたけれどドストエフスキーの作品は1人で読むには限界がある。
できれば他の誰かと話をして解釈に間違いがないか確認したいのと
各々の感想が気になる作品である。