面白さ★★★⭐︎⭐︎
好き★★⭐︎⭐︎⭐︎
おすすめ★★★⭐︎⭐︎
船乗りに憧れるロビン・クルーソーという青年。
それなりに豊かな生活が出来ている身分だけれど
どうしても海に出たいと願う。
ある日ひょんな事から友人に誘われ、両親に相談もせずに
海に出てしまう。
しかし自分が思っていたような航海とはならず
嵐に遭って身の危険を感じたり海賊の奴隷になったり
波瀾に満ちた航海人生?を送ることになる。
最終的には無人島に流れ着いてそこで知恵と努力で
何とか生き抜く漂流記。
本来は大人向けに書かれた作品なんだそうで
信仰についての話が度々出てくる。
主人公のロビンは信仰には全く関心がなく
ただ何となく日常的に存在しているものという
慢性的な意識しか向けていなかったよう。
しかし、食べ物も道具もない殺風景な無人島で暮らしていく中で
父親の忠告も聞かず勝手に家を出てしまったことのバチが当たったのだと
考えるようになり、次第に自分の罪を悔やみ信仰に目覚めていく。
最終的には敬虔なキリスト教徒になるが
その過程でどうしようもなく不安な気持ちになった時には
感情が乱れて信仰心が薄くなってしまう事があった。
この気持ちが何となく分かるなと思う。
心の余裕が先か、信仰が先かは人それぞれだと思うが
個人的には気持ちにゆとりがあってこその信仰だと考える。
何かに縋るものがあり、そのおかげで心の余裕が生まれる
ということもあるとは思うけれど、
ある程度の身の安全や暮らしに余裕があればこその
祈りなのであって信仰なのではないのかな。
信仰や宗教という存在を知らなければ縋ることも出来ない。
少なくとも信仰心を教えてくれた人がいるという環境が
ゆとりや余裕のある生活だと思っている。
そんなことを考えながら読み進めた。
何度も揺らぐ信仰心でもその度に冷静になり
心を落ち着けて嵐に遭っても生きている自分、
暮らしの道具を生み出せる環境にあったこと
食べ物があることなど、自分の持っているものに
目を向けてそのことを感謝した。
そして自分が生きて生活していける環境はとても恵まれていて
神様の救いのおかげだと考えることが出来た。
このロビンの考え方が信仰の行き着くところの一つなのではと思う。
人間どうしても「ないもの」に気が行きがちで自分の不幸なことばかり
考えてしまうが、実は「あるもの」も同じように自分の中に存在している。
この「あるもの」に気がつけることで簡単に豊かになれる。
そして、その「あるもの」は自分だけの力で生み出せたものではなくて
色々な偶然が重なって出来たものだったり、周りの人のおかげだったりする。
それが神様の采配と考えるのが信仰であり、
人が心に余裕を持つための一つの手段なんだろう。
困難な時こそ「あるもの」に気がついて
感謝することが信仰の究極の理想なのではと思うが
それがなかなか難しい。
心に余裕がなければどうしても「ないない」ばかりになってしまう。
感謝なんてとても出来ない。
救いのない日々を死ぬまで続けなければならないのかと
うんざりしながら時間を過ごしてしまうのが現実。
本当に神様に縋って助けを乞いたい時ほど
信仰心も感謝も忘れてしまうのは何だか虚しいが
この虚しい性を何とか矯正したくて生み出されたのが
宗教であり信仰心なのかな。
信仰の大切さを説いている児童文学はたくさんあるし
それが目的なのではと感じる事があるけれど
「良いものは良いから」というだけで
信じることばかりに注目しているという印象が強くあった。
でも「ロビンソン・クルーソー」は信じる際に感じる
素朴な疑問や、矛盾なんかをロビン青年と一緒になって考えられる一冊だと思う。
大人向けに書かれたという理由も子供に信仰の大切さを説明する時に、
漂流記という物語性で興味を惹きつけて
疑問点や目的を一緒に考えるためなのではと思った。
大人になればなるほど、理由を考えなくなりがちだから
親子でも先生と生徒でも大人と子供が一緒になって答えを求める
きっかけの一つとして生み出された物語なのかもしれない。
一つの物語としても魅力はあると思うが
個人的にはあまり刺さらなかった。
いろんなジャンルにコアなファンがいるのと同じように
生粋の冒険好きにはもしかしたら魅力がしっかり伝わるのではないか。