大人にこそ読んでほしい児童文学。
ミヒャエル・エンデの「モモ」。
モモという風変わりな女の子が廃墟になった
円形劇場に住み着いている。
街の人々は一度は施設に入れようとするけれど
本人の強い意志で円形劇場を彼女の家とする。
子供達と空想ごっこで遊んだり
大人たちの話を聞くのが上手だったりで
みんなから愛されていたモモの前に
灰色の男たちが現れる。
彼らが企んでいるのは一体何なのか。
男たちに言いくるめられた街の人たちは
みんな忙しそうにしてピリピリしているようだった。
大人たちは何のために忙しなくしているのか
自分の時間をいっさいなくしてまで
時間を節約しているのは何故なのか。
効率的に動く、時短できることなんかが
言われたりしているけれど果たして
何のための時短なのか?
何のために効率を考えているのか?
余った時間で何をしているのか?
よくよく考えるとうまく答えられないことがある。
効率的に動けたら確かに気分がいいし
時間を省略できたら何だか得した気分になる。
でも残った時間で何してるんだろう?
スマホ見てないか、ぼんやり動画見てないか。
灰色の男たちは現実世界にはいないけれど
人が無意識に時間を溶かしてしまっているものは
いくらでもある。
やりたいことがあったのに
やりたいことのために
やらなければいけないことを
早めに片付けたのに。
ちょっとのつもりが何時間も
SNSを眺めていた!なんてこと
私は結構ある。
本文の「時間泥棒」とはよく言ったものだと思う。
頭では分かっているけれどやめられない。
中毒性があるのがスマホ。
スマホなしではもはや生活が成り立たない。
「灰色の男たち」って何なのか。
現代での誰なのか?
スマホアプリも冷静に良いところ悪いところを考えて使いたい。
よく人生で親といられる時間はトータルで何時間とか
子供といられる時間は何時間。
眠っているのは人生の何分の一とかって言われたり
するけれど、それを知ると意外と少ないことに気づく。
誰かといられる時間。
自分のための時間。
人生そのものが割と短い。
モモが書かれたのが1970年代のこと。
戦争は終わったけれど何となくざわついていた時代。
不穏な世の中に振り回されることがないよう
作者は子供達に向けて呼びかけたのかもしれない。
作中にも毎日を忙しく過ごし変わってしまった
大人たちに向けてデモを行う子供たちの姿が描かれている。
自分と一緒に大人に向かって一度立ち止まり
大事な時間とは何をする時間なのか考えてほしいと
作者が子供達に向けたメッセージがこの本なのかもしれない。