とにかくいろんな人に読んでほしい。
メッセージ性があるからとか、何か大事なことに気がつけるから
ではなくて単純にストーリーが面白いからという理由。
ある町の円形劇場跡にモモという女の子が住んでいた。
彼女は人の話を聴くのが得意で悩み事があると皆モモを訪ねてきた。
瞬時に的確なアドバイスをするのではなく、ただじっと話を聞いているだけ。
それでも、聞いてもらった方はスッキリして帰っていく。
後日、悩みを打ち明けた人のところへ出向き
どうしたら良いのかモモなりに解決策を伝えに行ったりもする。
時間差がありすぎて驚かれることもあるが
そんな自分なりの軸で動いているモモのことが大人も子供も大好きだった。
そんなモモが住む町に時間泥棒が現れて、時間を貯蓄しないかと大人たちを唆す。
「時間は限られている。今は余計なことはせずに時間を節約するべきだ。
やるべきことをやってから十分に余暇を楽しめば良い」
大人たちは必死に時間を節約しようとせかせかと生活しだす。
本当は時間の貯蓄なんて出来ない。
途中から、みんなが何のために時間を節約しているのか分からなくなる。
様子か変わってしまった町の人たちを戻すべくモモは
時間マスターという人物に会いに行く。
モモのことはキャラクターたちと同様に
読者も好きになるし、こんな友人がいたらなあと
空想することもある。
奪われた時間を取り戻すために出かけた先で
用意された「黄金の朝食」もとても美味しそうで
自分も食べたいと感じたのが一番最初の感想だった。
個人的に時間を取り戻す冒険に出かけてからが面白いと感じる。
ハラハラする場面なのにどこか和やかでほっこりする。
そして、コメディのような可笑しさもあり
素直に読んでいて楽しい。
ただただ作品を楽しむということも大事なのだと思う。
「モモ」に限らずどんな作品でも、まずは何も考えずに
純粋に楽しむことが大事だと考える。
最初から物語に隠されたメッセージを読み解こうとすると
作品自体の印象が考察や分析に引っ張られてしまうと思う。
「モモ」の場合は、子供達との空想ごっこや
黄金の朝食の魅力、また時間マスター宅の
神秘的な世界観がしっかり見えてこないのではと考える。
確かに自分の軸で生きることや
時短や効率を重視するのは何のためかのか
考えて自分の人生を生きてほしいという
作者のメッセージもあり、より多くの人に
伝えたいからこそ取っ付きやすい
ファンタジー作品にしている部分もあるかもしれない。
それでも、深く意味を考えて作者が見せたかったものが
薄らいでしまってはもったいないと思う。
考察や分析は用意されたエンターテイメントを十分に
味わってからでも遅くはないんじゃないか。