古典読む会

益子という大変のどかで自然豊かな田舎町にある
素敵な本屋さんで開催された児童文学の
古典を読む会に参加してきました。

何度かお店にお邪魔させていただいたことが
あるけれど、いつでも時間がゆったり流れている。
日々の忙しさを忘れさせてくれる空間で
本について話をするのはとても楽しかったです。

課題本は「小公女」
改めて読み返してみると以前は気にならなかった事が
気になったり、考えなかったことを考えるようになる。

前回読んだ時よりもミンチン先生やラヴィニアといった
悪役に気持ちが向いた。
以前は特にミンチン先生に対してはいけすかないし
救いようがない奴。と思っていた。
ラヴィニアに関しても意地悪で嫉妬深い女子。
そして2人ともセーラには敵わないという印象だった。

それが今回はミンチン先生の境遇について考えた。
彼女にとってセーラは「お金になる子」であったのは
間違いないとしても、そう考えるのは学校を
経営しているからだろうし、セーラの父親から
娘が望むものは何でも叶えてやって欲しいと
頼まれたらそりゃ何でもするよねと。

教育者よりも経営者としての考え方が
優位になっていたのかなと思った。
実際ビジネスの話が分かるというような
ことが作中書かれていたし。

太客の要望を叶えるために自分のお金を立て替えていた。
それもおそらく財布のキャパを大幅に超えて。
そんな状況で立て替えたお金は戻ってきませんって
なったら取り乱す気持ちも分かる。

ただ、戻ってこないお金をどうするかと
自分のセーラが嫌いだという感情を
混ぜてしまったのはよくなかったと思う。

近頃はヴィラン側の視点に立ったお話が多いけれど
彼らには彼らの事情や考えや気持ちがあったのだと気づく。

そして何度読んでもセーラの「公女」っぷりに驚く。
彼女が「優しい」と言われたなら自分はとても恵まれていて
何不自由がないから優しくできているだけで、
本当はとても嫌な子かもしれないというセリフに感心した。

大人でもここまで言える人は少ないかもしれない。
インドでは「お嬢様」と呼ばれ父親からめちゃくちゃに
甘やかされたセーラの何がそこまでさせたのだろうと
考えると止まらなくなる。
ただ父親の教育がよかったとは個人的には言えないと思う。

また主催してくださったたね書房さんは
作者バーネットの人生や時代背景など
作品の見えない部分を細かくレジュメにしてくださっていて
なるほどそんな時代だったからこの内容かと
思うことも多々あり、時代背景や作者を取り巻く環境なども
合わせて調べてみるのも楽しいのかなと思った。

ちなみにバーネットは裕福な家庭に育ち三歳のころ父親を亡くしている。
そして十九歳頃から生計を立てるため
作品を書いていたそう。

セーラと重なる部分が割とある気がする。
セーラも父親を亡くしているし
お話を作って人に聞かせるのが大好きだった。
セーラもバーネットも生きるための手段として
素敵なお話を考え自分も人も楽しませたのかもしれない。

辛い時に楽しいことを考えたり何かのつもりになって
乗り越えるってこと結構経験ある人いるよね?

楽しくて有意義なひとときをありがとうございました。
またお邪魔させていただきます。

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